2010年02月06日
朝礼

おはようございます。
もう2月で早いものです。
今朝、夢なんだけど、冷凍スープを盗みにきたら、思いっきり蹴ってやらなくてはならない、ということになっていて、そうしたら夜寝ていたらこっそり誰かが忍び込んできたんで、近くまで引き付けて、そして思いっきりキックしてやったんです!
寝てたんだけど身体が全体でガバッてキックして、隣でカミさんがどーしたの!と驚いて、いや今冷凍スープ盗みに来たからキックしてやったんだ、って答えました。
確か、上村が昨日仕事しているとき、特に岩塩は思いっきり蹴ってやんなきゃダメですよ、って言ってたような気がします。。。
まあ夢の話ですが。。。
ところで、先日の新聞に、「あえて不便が安心をうむ」という大きな記事があって、「星のや 京都」の船じゃなきゃいけない宿の紹介がありました。
われわれの冷凍スープもそうだな、と思います。
レトルトにすればどんなに楽か。
コストも保存も扱いもレトルトは楽ですが、レトルトは高熱殺菌によって風味が落ちる。だからわれわれ不便だけど冷凍にこだわってやってきました。
今、店の冷凍ショーケースで売っていますが、あれがレトルトでただ棚に並べていたら、今のような売上にはなっていないと思います。
お客さまにも手間をかけますが、ちゃんと理解して頂いているということでしょう。
さて、本から一節を。
村上龍さんの「人生における成功者の定義と条件」という本。
2004年の本で、タイトルもちょっと古臭い感じがしますが。
私は4年位前、清水工場に出張に行って、翌土曜日に朝早く出て周辺を一人旅しました。
朝7時30分頃床屋さんで髪切って、レンタサイクルで走って、そして清水港の波止場でこの本を読んだ思い出があります。
久しぶりに開きましたが面白い。
「はじめに」から要約引用します。
〜〜
社会の変化に言葉がついていっていない。
例えば「普通」ということば。
普通の女子高生、普通のサラリーマンってどうだろうか。
たとえば普通の女子高生はバージンだろうか。
普通のサラリーマンの年収は。
この問いに色々意見があるとすれば、社会通念としての基準がなくなっている、ということ。
同様に成功者という言葉の意味は、かつてのそれと確実に変化している。
たとえば、とりあえず生活するのに困らない程度の生活費を稼ぎ、かつ充実感のある仕事をもっていること。
しかし、生活費と充実感だけでは何か足りない。
従来だとそれに家族がつくが、現在はいろいろな在り様がある。
だから、人生の成功者というのは、「生活費と充実感を保障する仕事をもち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」と仮説をたてたい。
〜〜
そうですね。
私も10年前Soup Stock Tokyoを始めるにあたっては不安だらけでした。
その度に「こうじゃなきゃいけない、ということは無い」と自分に言いかけていました。
「普通」なんて普通じゃなく、言葉も、生活様式も、自分たちで創っていけばいいんだ、と。
そして、「信頼できる小さな共同体」。
その共同体が会社とも言えるのでは、とも思います。
その共同体まで会社とは息が詰まる、と言われるかもしれませんが。
最近、大会社の三菱商事は、かつて在った新人寮を復活させ、男子も女子も新入社員は全員、寮に入るそうです。
いいですね。
管理職の接待費も、ボーナスはやはり家計に廻ってしまうので、社内ノミニケーションのために、またお目こぼしをする、という話も聞きました。
いい話です。
我々も、新しく他社も交えた寮ビジネスなんていいと思います。
気の合う会社に法人契約してもらって、目黒区辺りは無理かな?、スッキリした建築で、共同のリビングと食堂があって、庭でバーベキューしたりして。
ウチの社員が食堂のおばちゃん?やって。芝刈りして。
むしろ、この寮は入りたい!というものを作って、企業の負担と、若干個人負担高くても入りたい、なんてもの作れたらいいなあと思います。
金利と償却と運営費が賄えれば土地を仕込むのもいいかもしれない。
おまけに、農家が近くにある別荘のようなものも青森じゃ遠いかな?、どこかにあって。
価値観を共有できる良い仲間がいれば、「信頼できる小さな共同体」が会社であってもいいと思います。
さて、2月は、食堂カタツムリや色々なテレビ放映が予定されています。
多くの方に店を体験してもらえるチャンス。
少しでも多くの共感を得られるチャンスです。
がんばっていきましょう。
