2018年12月09日
花畑
(写真は2018年2月母の誕生日に3人の子と)
母が86歳で逝った。
全く元気だったが、夏にぎっくり腰をやってからは外に出ず家の椅子に座りっきりになって、それからぐっと弱った。
ずーっと鍼灸に通うなど病院へは出向かず、血圧すら測っていない。
特段の病気もないままに衰えていったが頭もはっきりしたままである。
昭和7年生まれで、41歳のときに旦那を事故で亡くし女手ひとつで2男1女を育てる。今思うと41歳はあまりにも若い。勿論苦労も多かっただろうし、責任感や美意識的なものもあっただろうが、どうにも無私で穏やか、私は親子ゲンカをした記憶もない。生前そのことを聞くと、そーいやー私も親姉妹とケンカした記憶はないねえとどこまでもおっとりとしている。アレしろコレしろとの指導的支配がない。こうでなくてはいけないという縛りがないから、怒りやケンカにならないのかもしれない。そのくせ気づかいの人で、高校時代の夜中の仲間の来訪にもいつも笑顔で迎えてくれ、人気の母親だった。
ぎっくり腰で座ったままでいることでめっきり弱り老け込んだ。
歩行器を使って足ぶみを促しても10歩でもうダメだ、というのには驚いた。
7日寝込むと7年分の筋力が落ちるというがまさにそのような感覚。心肺も筋肉の動きで機能しているというのもこの頃に聞いた。
日に日に補助機器が増えていき、介護という言葉が現実味を増してきた。
前日の夜、時間が空いたので実家を訪れた。
丁度兄姉も揃って楽しく談笑した。
床についてからも声が聞こえて、扇いだり手を握ったり。
皆んなに会えてよかったと何度も言って。
この数ヶ月姉は横で一緒に寝ていたが、前日は夜中に寝言を録音するアプリで録っていた。
綺麗な花があるね、と何度もうわ言を言っていた。
花畑があって、喜んでいたのだろう。
翌朝、まさに眠っているように、むしろ笑顔すら湛えているように、息を引きひきとった。
都会の真ん中にあって、考えうる最高の最期であろう。
前日の最期の夕食がスープストックの参鶏湯だったのも、彼女なりの息子孝行か。
ながいあいだ、お疲れさまでした。
どうぞゆっくり過ごしてください。
とてもとても、ありがとう。
2018年12月9日